ラジオスターは君に語りかけない

『明けない夜はない』
往々にして良いイメージを持たれている言葉がよもや別の意味を持つことになろうとは。
2016年3月24日27時、とうとう明けてはならない夜が始まってしまったのだ。

アルコ&ピースのオールナイトニッポンシリーズはレギュラー放送を丸3年、単発のRからは足かけ5年の番組であり、最大の特徴としては「リスナーからのメールで内容が大きく変わる」という点だろう。故に基本的にJUNKを聞いている私は最初、何をしてるんだかわからないという完全な置いてけぼりをくらった(ちなみに最初に聞いたのはデニーロアプローチの回、という新参者である)
リスナーに全責任がかかっているこのラジオでは、常に企画に沿った内容のメールを募集し着地点を探すため、他の番組より職人の重要度が高い。
参加することに意義がある、それこそがこのラジオが日本で最も聞かれるラジオだった理由だと思う。

時間帯が木曜深夜ということもありリアルタイムで聞けたのは少ないし、自分自身が参加したこともないのに、非常に思い入れのあるラジオなのはなぜだろう?

きっとそれぞれに理由を持っていると思う。それこそ平林さんのような劇的な理由もあるだろう。しかし芸人を(コント師中心ではあるものの)密かに応援し続けている私のそれは、パーソナリティの2人が今まさにもがいている状態のコント師でありながらオールナイトニッポンのパーソナリティをやり遂げたというところだと考えている。

そもそもアルコ&ピースのコントはドラスティックでドラマティックなものが多く、そのスタイルのせいか最近の「共感第一」な笑いとはまた違う雰囲気を持っている。
言ってしまえばただでさえとっつきにくいそのスタイルで、さらに「オチは巻き込まれたやつが探せ」というところまで落とし込まれたコントを、深夜に、分かる奴だけを巻き込んでラジオで毎週展開していたのだ。
そこで提供される笑いは全てに意味が無い。そう、無意味。それはどんな笑いの種類よりも価値がある最高のものなのだ。
だってジーパンの食い方って何の役にも立たねえだろ。

私はなるべくなら考えながら笑いたくはないのだ。しかし考えずに笑えるものを作るのは本当に難しい…紙一重の差でただの勢いになってしまう。
このラジオは最低限のレールだけ持ってやり抜く悪ふざけなのだ。ああ、愛すべき無意味。
もちろんスタッフにかかる重責もまた大変なものだったことは想像に難くない。

実質の最終回は前週のデータ回であり、3月24日の「春歌アーティストの乱」はボーナストラックとなったわけだが、蓋を開けてみれば、まあルール無用の最高のクソ回だった。
異常に丁寧にキマグレンのフリをしておく2人の思いはステレオマンに吸い込まれ、伏線とか全部お味噌汁ごくごくマンがぶち壊すという地獄。
在宅リスナーの私は家で爆笑していたが、出待ちリスナーはどんな顔で聞いていたのだろうか?
参加型ラジオの最終回は、職人がみんな出待ちに行っていてほんのり薄くなるなんてなんという皮肉なことだろう…でもそれも分かっていたことなのかもしれない。だからこそこれはボーナストラックだったのだと思う。
予定調和のような本当の最終回は、たった30分足らずのポッドキャストが担っている。まるでカーテンコールのようにスタッフや職人が紹介されていく様子はまさしく盛大な3年間の茶番の最後だったのだ。

のちにホームページが更新されている。
この回に付けられたタイトルは「始」だった。
バカヤロウ!まだ始まっちゃいねえよ、という言葉が浮かぶのは絶対にこのラジオのせいだ。普通なら最終回なんて「ここから2人は始まっていくのか」と感動するはずだのに!
だからこの回は最終回ではなくて春歌アーティストの乱2016、もしくはお味噌汁ごくごくマンの回と呼ぶことにする。

願わくばなんとかまとめようとして読まれた「stereomanの歌詞の意味」に出てくるステレオマンが、リスナー全員の中ではアルコ&ピースのことであってほしい。頼む、ドレッドヘアじゃあありませんように!


最後に
彼らに幸あれ、どうか、何卒!